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俳人・勝本柏宇(かつもとはくう)
2012 / 06 / 23 ( Sat )
俳人・勝本柏宇(かつもとはくう)

何年か前まで、御祓川の慶王橋東橋詰の御祓川公園(府中町)に、黒御影石で出来た句碑があった。いつ撤去したのだろうか。どこかへ移設したのだろうか。
 調査不足で申し訳ないが、その石碑のその後は不明である。
 ただどういう内容だったか、本に記録が残っているので、碑文の内容を以下に転載しておく。

<碑 文>
     上陸をする船員に羽子日和   柏宇

 石碑の裏面をみると「平成ニ年十月吉日建之 七尾俳文学発展を記念して、八十八翁 勝本栄吉 俳号柏宇」とあるそうだ。
 俳句歴70年と米寿を記念しての建立らしい。
 勝本柏宇は、ホトトギス同人の俳人だった。
 その年(平成2年)の10月の祝賀会の句には「露の世を生き永らえて句碑ここに」の句がる。本人もこの句碑建立は嬉しかったのであろう。
 柏宇は、俳句を学びだしたのは20歳の頃だという。「七尾俳壇」に属して学び始め、当初は、親友の島田渓水、飯川一鹿と一緒に蕉風という古い流れの俳句を学んでいたという。途中から大阪で歯科医を学んで帰郷した守友一秋も加わったという。

旧勝本邸
 蕉風からホトトギス派に変更した経緯だが、勝本柏宇・勝本昌子合同句集『松の花』(昭和49年発行:勝本昌子は柏宇の夫人である)の「あとがき」に次のように書いている。

 俳句を3、4年学んだ頃、親友の島田渓水が、中島の汽船の中で、(中島在住の)ホトトギス同人の大森積翠と知り合い、ホトトギス俳句の事などを話合った。その大森積翠の影響が強かったのだろう、4人はホトトギス俳句を勉強することになった。

 その頃、中島にはホトトギス派の「風交會」があり、輪島にもホトトギス派の「蝸牛會」があった。
 七尾にもホトトギス派の会を作ろうということになり「己が會」と名付けて発足した。昭和2年のことだという。これが七尾にホトトギス俳句が根を下ろし育つ起源となったそうだ。
 その後誘いによって、杉森紅楓、石井考林、吉村春潮、佐原英同、下出水華らの入会があり、総勢156名となった、とある。

 昭和19年のある日、親友の島田渓水は急死。痛手であったが、昭和24年に4月24日には、待望の高浜虚子父子が能登入りし、七尾ホテルに大歓送迎会を開いたという(勿論句会も催す)。
 昭和38年、御祓公民館で俳句教室を開く。昭和42年、新人を加え「かりがね句會」と改め公民館句会を再発足したという。
勝本柏宇・勝本昌子合同句集『松の花』
 昭和43年に、明治百周年の記念事業の一環として七尾市にも隠れたる文化資料を求めてきたのに応じて、20年間所在不明だった高浜虚子先生父子歓迎大会の選句集(高浜虚子真筆)を探しだして七尾市に提出。七尾図書館に保管されることになったという。

 著書は、『松の花』の他にも、柏宇が長く指導を続けた「七草句会」の合同句集『七草』を昭和50年に発行している。

 生家は、一本杉町の西端に近くにある現在・前田リフォーム店となっている家である。この家には、直木賞作家の杉森久英や、モダンアートの勝本冨士夫も生まれている。

 その旧・勝本邸(現・前田リフォーム店)は、現在登録文化財である。家中には、勝本冨士夫の沢山の絵が展示されている他、旧家らしい重厚な蔵があり、当地を訪れた観光客なども時々立ち寄って見せてもらっているようだ。

(参考)
『七尾の碑』(七尾市立図書館友の会「七尾の碑編集委員会」編集・同友の会発行(1993年3月)/写真・間蔵俊甫)

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横川巴人の作品
2011 / 09 / 03 ( Sat )
このブログを有効利用するために、一本杉町出身の有名人の作品などを紹介してみたい。
最初は、一本杉町出身の書画人・横川巴人の書画を紹介する。
 横山巴人の詳しい紹介は、このブログのココで紹介しているので、詳しいことを知りたい人はそちらを見て欲しい(一本杉通りの公式サイトでも紹介しています)。
 DarumaPajin.jpg  PajinSho01.jpg

PajinSho02Yume.jpg  Tanzaku-Pajin.jpg

PajinSho03.jpg

PajinSho04.jpg

PajinSho05.jpg  PajinSho06.jpg

PajinSho07Shikishi01.jpg  巴人の達磨の絵

TS3L0258.jpg  TS3L0262.jpg

巴人の「夢」の字の書  2004Chonkoyama06.jpg

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17 : 12 : 35 | 一本杉通りゆかりの芸術家 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
茶谷霞畝氏の資料多数入手
2010 / 04 / 21 ( Wed )
 今日、一本杉通り公式サイト「一本杉通り界隈ゆかりの人々」でも紹介している茶谷霞畝(ちゃたに・かほう)氏の資料を、鳥居醤油店から大量入手した。
茶谷霞畝の横顔の写真
 今まで肖像写真などを探していて、なかなか見つからなかったのに、易(い)ともあっさりと見つかって、気抜けする感じだ。
 考えてみれば、寓居のあった場所に住んでいる人に聞くのが本筋であった。茶谷霞畝 宗匠頭巾を被って友人と記念写真(鳥居醤油店の煙突らしきものが見えるので、撮影場所は茶谷霞畝の寓居屋上と思われる)

 鳥居氏からお借りした資料は、できるだけスキャナーやデジカメ、コピー機で資料を取り込む予定だが、資料が多くて、暇を見て情報をとりこむには数日かかりそうだ。
 ただ主なものは、既に取り込んだので、ここで紹介しようと思う。
 (写真は全てサムネイルなのでクリックすれば大きく見ることが出来ます)
 まず一番最初は、横顔の写真。2枚目は宗匠頭巾を被って友人?と記念撮影する茶谷霞畝氏。
 3枚目は、花本第13世を継承すること竹内菊園が推薦する書状(実物)。
 4枚目は、茶谷善蔵が師事した荒木十畝から「霞畝」の号を名乗ることを認められた証書(実物)。

花本第13世を継承すること竹内菊園が推薦する書状(実物) 茶谷善蔵が師事した荒木十畝から「霞畝」の号を名乗ることを認められた証書(実物)

次ぎは昭和35年9月15日・16日に光徳寺で開かれた茶谷霞畝氏の作品展の様子
昭和35年9月15日・16日に光徳寺で開かれた茶谷霞畝氏の作品展の様子 昭和35年9月15日・16日に光徳寺で開かれた茶谷霞畝氏の作品展の様子 昭和35年9月15日・16日に光徳寺で開かれた茶谷霞畝氏の作品展の様子

昭和35年9月15日・16日に光徳寺で開かれた茶谷霞畝氏の作品展の様子昭和35年9月15日・16日に光徳寺で開かれた茶谷霞畝氏の作品展の様子

昭和35年9月15日の句会の様子(場所:光徳寺)
昭和35年9月15日の句会の様子(場所:光徳寺) 昭和35年9月15日の句会の様子(場所:光徳寺)

 昭和35年9月14日(句会、作品展の前日)の献茶の様子(場所:光徳寺)
 昭和35年9月14日(句会、作品展の前日)の献茶の様子(場所:光徳寺) 昭和35年9月14日(句会、作品展の前日)の献茶の様子(場所:光徳寺)
 
 年月が前後するが、昭和32年5月3日の七尾市文化賞授賞式の記念撮影
 (前列、左から3番目が茶谷霞畝)

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15 : 33 : 37 | 一本杉通りゆかりの芸術家 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
一本杉通りゆかりの芸術家 勝本冨士雄(モダンアートの旗手)
2009 / 04 / 19 ( Sun )
勝本冨士雄(1926~1984)
洋画家・勝本冨士雄の生誕の家の前の石造街灯 大正15年 七尾市一本杉町生まれ
 現在前田りイフォーム店
 昭和13年 戦時京都に出、叔母の本屋に勤めるかたわら、京都市立絵画専門学校(現京都市絵画 専門学校)に学び、須田国太郎に師事するが中退。
 戦後まもなく京都自由美術研究会で学ぶ
 昭和25年 モダンアート協会創立に参加
 昭和26年 第2回モダンアート展に招待出品
  (同時に会員に推挙。以後、会の重鎮として活躍)
 昭和28年 抽象と幻想展(国立近代美術館主催)に招待出品
 昭和30年 日米抽象美術展(国立近代美術館主催)に招待出品
 昭和36年 第2回パリ国際青年ビエンナーレ展(パリ近代美術館)に招待出品
 昭和38年 第14回朝日秀作美術展に招待出品「勝本邸」(現在「リフォーム前田」) 、直木賞作家杉森久英(直木賞作家)の生家でもあります。建物は現在登録有形文化財
 昭和39年 第15回朝日秀作美術展に招待出品、
   第4回東京国際版画ビエンナーレ展(国立近代美術)に招待出品
 昭和41年 第5回国立近代美術館コレクション展に出品、買上
 昭和47年 日本現代美術展に招待出品
 昭和52年 日本現代美術パノラマ展(セントラル美術館)に招待出品
 昭和59年 4月26日東京にて死去

 戦後の画壇において日本のモダンアートの有望な新進作家として活躍。一貫して抽象画を描き続け、晩年は幾何学的抽象、『鋭角シリーズ』に至った。また、ガラスモザイクによる壁画でも知られ、県内の公共施設に多くの作品が残っています。

 


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